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| 中 |
年代 |
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歴史 |
日 |
| 唐 |
618年 |
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飛
鳥
時
代 |
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「貢茶」という制度がつくられ、貢茶院という専門の役所が各地の最上のお茶を製茶して皇帝に献上した。
白茶は「絹の手袋をした処女が金の鋏(はさみ)で摘んだ新芽を、金の籠に入れてそのまま皇帝に献上した。」というエピソードがある。
=七之事=『茶経』陸羽(りくう)著 出生不明〜804
「永嘉県(浙江省)の東三百里に白茶山あり」
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白
鳳 |
奈
良 |
平
安 |
五
代
十
国 |
907年 |
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| 宋 |
960年 |
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『茶録』=色=蔡襄(さいじょう)著
「茶の色は白を貴ぶ。しかし餅茶(固形茶)自体は、珍膏を表面に塗っているものが多いので、青・黄・紫・黒の違いがある。
茶の識別に優れた人は、観相家が人の顔色を見るようなものである。
隠れている内部を洞察して、内側にうるおいが有るものを上等とする。
粉末にしてからは、色が黄白のものは水に入れるとどんよりとする。
青白のものは水に入れると真っ白になる。
だから建安の人たちの飲み比べ(闘茶)は、青白のものを黄白より勝るとしている。」 |
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『品茶要録』黄儒 |
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『大観茶論』=白茶=徽宗帝(きそうてい)著
「白茶はそれ自身が一種の種類で、普通の茶と同じものではない。
枝は張って開いており、葉は光沢が有って薄い。
崖林の間に偶然生え出すので、人力で作り出すことは出来ない。
正焙(北苑のこと、現在の福建省建甌県)でこの種を持っている家は四五軒に過ぎず、それも芽が出るのは一二株に過ぎないので、製造できるのは二三 (固形茶の総称)にすぎない。
芽は多くないうえ、蒸すことと焙(あぶ)ることが最も難しく、湯と火の加減を間違うと、普通の品になってしまう。
製造が精緻で、過度(乾燥作業)が適切であったならば、表も裏も昭(かがや)くばかりにK(きよ)く、玉が荒玉(あらたま)のなかに有るように、他に比べるものは無い。
淺焙(北苑近辺の茶園)にもこの種が有るが、ただ品格が及ばない。」
=色=
「点(た)てた茶の色は、純白を最上として本当の色とする。
青白が次ぎで、灰白がこれに次ぎ、黄白はまたこれに次ぐ。
上に天候が順調で、下に人力を尽くせば、茶は必ず純白である。
春先の天候がにわかに暖かくなると、出てきた芽は狂ったように伸びるので、茶摘みや製造が追いつかない。
そのため、蒸した茶の積み置きが出来ると白くても黄色くなる。
青白のものは蒸しがやや生で、灰白のものは蒸しが多すぎたのである。
圧膏(しぼり)が十分でないと色は青黒く、焙火(あぶり)が強すぎると赤黒くなる。
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『宣和北苑貢茶録(せんなほくえんこうさろく)』熊蕃(のうはん)著
「大観(1107〜10年)のはじめ、今上皇帝(徽宗)が『茶論(大観茶論)』20編を書かれ、白茶なるものは普通の茶と異なり、偶然に生えるもので、人為的につくることのできないものであると仰せられておられるので、白茶は遂に第一級品となった。
[原注]慶暦のはじめ呉興の劉異が『北苑拾遺』で
「御園のなかに白茶が五,六株あるが、手入れは十分でない。民間の茶園では、王免というものの家に大きな一株があり、春先には、浮屋(かけごや)をつくって風や陽を防いでいる。 」と書いている。
また、宋子安というものが『東渓試茶録』で
「白茶が民間で大いに重んじられるようになったのは、近年のことで、芽葉は紙のようで、建安の人たちは茶の瑞祥だといっている。」と書いている。
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『東渓試茶録』 |
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『北苑別録(ほくえんべつろく)』 =揀茶=趙汝礪(ちょうじょれい)
「茶には小芽・中芽・紫芽・白合・烏帯があるということをわきまえておかねばならない。小芽は小さく鷹の爪のようである。
歳貢中最初につくられる「龍園勝雪」「白茶」はこの小芽を用いる。
まず蒸熱して、それを水盆の中に浸し、わずか針のように小さな蕊(ずい)だけをほじりだして造る。」 |
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現代の白茶は漕臣(鄭可葺)がつくった「銀糸氷芽」や「三色細芽」が始まりといわれている。
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南
宋 |
1127年 |
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鎌
倉 |
| 元 |
1271年 |
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南
朝 |
室
町 |
| 明 |
1368年 |
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戦
国 |
安
土
桃
山 |
江
戸 |
| 清 |
1636年 |
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| 1857年 |
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「白毫銀針」が福建省で作られたといわれている。 |
明
治 |
| 1910年 |
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白茶は1910年から1920年にかけて大変人気があったが、その後の内戦や日中戦争の影響を受けて生産高が落ちた。 |
国
民
政
府 |
1912年 |
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大
正 |
| 1922年 |
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「白牡丹」が作られはじめた。 |
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中
華
人
民
共
和
国 |
1946年 |
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昭
和 |
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