| 号 |
年代 |
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歴史 |
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大航海時代に、日本に向かう途中でポルトガル人によって台湾が発見された。
ポルトガル人は美しい島国の台湾を、イラ・フォルモサ(Ilha Formosa)、麗しの島」と呼んだ。 |
オ
ラ
ン
ダ
支
配 |
1622年 |
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オランダが澎湖島を占拠した。 |
| 1626年 |
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スペインが台湾の基隆、淡水を占拠した。 |
| 1642年 |
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スペインはオランダの攻撃によって台湾から退却、オランダが全土を占領した。 |
| 1645年 |
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台湾中南部の海抜800mほどの山中で、野生の茶樹が見つかり、その葉を積んで原住民が自家製のお茶を作ったのが製茶の始まり。 |
鄭
成
功
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1662年 |
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清朝との戦いに負けた明朝の鄭成功(ていせいこう)は台湾へ逃げた。
そして、オランダを追い出した。 |
| 1683年 |
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鄭成功は台湾を明朝の国とし、清朝への戦いの拠点とした。
鄭成功の死亡後、台湾の明朝は清朝によって滅ぼされた。 |
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清
朝
の
支
配
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1684年 |
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台湾は清朝の福建省に隷属された。
清朝は現在の台南市に台湾府を置いたが、清朝自身は台湾を積極的に開拓しようとしなかった。
しかし、大陸の福建省や広東省からの移民が激増し、彼らは台湾の南部から北部へと土地を開拓した。 |
| 1723年 |
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赤嵌(台南)の記録には、「水沙連(台湾中南部)は深い谷間にあって昼なお暗く、樹木鬱蒼、雲霧たれ下がり、向こうが見えないほどである。
朝夕の如く日中の日照が少ないので、茶の色、松蘿(つたかずら)の如く性極寒(陰性)にして熱病の治療に効果あり…」と記されている。 |
| 1796年 |
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柯朝氏が福建省の武夷山から台湾北部に茶の苗木を入植。 |
| 1885年 |
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鹿谷郷初郷村の林鳳池(りんほうち)は、官使になるために地元の人間に金を出してもらい福建省に「郷使」という地方官使の試験をうけるため行き、「科挙」の資格を得た。
そして、台湾に帰るときに武夷(ぶい)の青心烏龍種(福建省では軟枝烏龍種)の苗を36株もって帰り、24株を協力してくれた竹林村、大坪頂、初郷村などに移植したが、育たなかった。
しかし、残りの12株を凍頂山の林三顕紙に送って植樹したものが見事に育ち、現在の凍頂烏龍となった。
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| 1862年 |
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福建省の指導者により製茶技術が伝わり、中国式の製茶方法が始まる。 |
| 1865年 |
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英国人のジョン・ドットが茶葉交易のため「寶順洋行」を設立。
福建省の安渓から苗木を入手、茶農家に栽培させた。 |
| 1866年 |
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台湾の茶葉が中国の福建省から、アメリカやオーストラリアに輸出。
品質がよいことでアメリカの市場では人気が出た。
しかし、アメリカへの輸出港であった廈門(あもい)で地元の茶葉を混ぜた物を台湾茶として輸出したため、品質が下がり、他の産地に負けてしまった。 |
| 1867年 |
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アメリカなどへの輸出量が減った台湾茶は、東南アジアに販路を広げた。
マカオへの輸出開始。 |
| 1869年 |
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「Formosa Tea」の商品名で北アメリカへ輸出された。 |
| 1872年 |
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イギリスへの輸出開始。 |
| 1873年 |
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世界的な金融恐慌が起こり、輸出が不況になる。
荒茶を福州に送り、花茶に再加工をはじめた。 |
| 1881年 |
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福建省の呉福源氏が台北に工場を設け、包種茶の製造方法が伝えられた。 |
| 1889年 |
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茶商公会設立。 |
日
本
の
統
治
時
代 |
1895年 |
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台湾は日清戦争の結果、下関条約により日本へ割譲されることとなった。
日本は、製茶機械を導入して茶の品質を向上させたり、検査機構を設立して茶産業の振興させた結果、生産量や輸出量も飛躍的に向上した。 |
| 1896年 |
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張逎妙が木柵地区に中国の安渓県から鉄観音12株を試験的に植えた。
茶樹は順調に育った。
そこで、安渓県から苗1000株を移植、鉄観音の製茶技術を学び木柵鉄観音を生産した。 |
| 1903年 |
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茶製造試験場(現在の台湾省茶業改良場)を設立。
茶樹や製品の運搬技術などの研究が行われた。 |
| 1912年 |
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台湾では中華民国元年と称し、一般的には民国元年と記している。 |
| 1926年 |
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台湾総督府がインドからアッサム種の苗を取り寄せ、南投県魚池地区に植えたのが台湾紅茶のはじまり。 |
| 1941年 |
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太平洋戦争が始まる。
土地や労働力は食糧の生産に使われ、また輸出が出来なくなったため台湾の茶業は衰退する。 |
| 1945年 |
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第二次世界大戦終結。日本の統治が終わる。 |
中
華
民
国 |
1960年
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花連県瑞穂郷鶴岡村で紅茶生産が行われた。(台湾土地銀行が出資) |
| 1973年 |
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民國62年瑞穂茶区が高級茶専業区に指定される。(台湾省農林庁) |
| 1975年 |
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茶葉の残留農薬検査を実地。
基準を超えると罰金、焼却処分、悪質な業者は刑務所送り。
害虫駆除も農薬を極力使わないよう指導している。 |
| 1996年 |
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生産高2080屯 茶畑面積24130ヘクタール |
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